「お金がない」という
呪いについて
「お金がない」って、
世代を超えた呪いだと思うし、
まるで「低温やけど」みたいとも思う。
2024年3月4日。
私の父方の祖父が、亡くなりました。
大腸がんを患っていて、
先は長くないとは知っていたけれど、
私が社会人になってからは、
もはや会うことすら許されませんでした。
私は自分の娘を一度たりとも
祖父に
会わせてあげることができなかったし、
毎年送っていた敬老の日のプレゼントも
祖父の手には一切、
渡っていなかったと知りました。
「おじいちゃんが亡くなった。
葬式はもう済ませたから、
帰ってこなくていいよ。」
そんな父の事後報告を聞いて、
私は深いため息をつきました。
「はぁ。まだやってんのか。」
少なくとも、50年以上は
私の父と、
私たち家族を覆っている「呪い」に、
心底嫌気がさす。
・・・。
私の父は、祖父を憎んでいる。
理由は、ほかならぬ「お金」。
聞くところによると、
父の実家はかつて、かなり裕福だったらしい。
だけど、祖父が
心を許した使用人に
財産を持ち逃げされ、
幼い頃から超のつくお金持ちで、
ぬくぬくワガママに育った祖父は、
どうする実力もなく
そのまま一家は貧乏のどん底を
味わうことになったと。
父には、10個下の妹がいました。
小学生の頃から新聞配達して
自分たちが明日生きるためと、
妹の将来のために生活費を稼ぎ、
中高時代は幼い妹の面倒を見ながら、
高校を卒業すると、
周りが遊び呆けるなかで、
ひとり働きながら夜間大学に通っていました。
「なんで、俺だけこんなに苦しいんや。」
ハタチの頃の父は、朝から晩まで働いた後、
20時からはじまる大学の講義に滑りこみ。
その日だされた膨大な課題をリュックに詰め、
これから夜中までこれをやって、
また朝早くから仕事に出る。
そんな日々に絶望して、
毎日、自転車で泣きながら
夜道を帰っていたそうです。
私は、幼い頃からずっと、
この父の話を聞かされて育ちました。
父は、自分にこんな苦労をさせた祖父を、
心底憎んでいました。
それでも、自分の親父を見捨てることはせず。
できず。
最期の数年は、
大腸がんになったその親父を、
精神的にも、経済的にも、肉体的にも。
介護でたくさん手を焼き、
見送ったようでした。
その父の苦労は、計り知れない。
だけど、私はこの話を思い出すたびに、
「まるで、呪いだな」
と気分が重くなるのです。
父は、夜間大学を卒業後、
転職を繰り返して、
CMとかで誰もが知るような大企業にたどり着き、
夜間大卒ながら異例の課長職につきました。
そのおかげで、
私は
真の「貧乏」を味わうことはなく
いたってフツーの家庭環境で
ここまで生きてはこれたけど、
生活でいちいち感じる
なんていうか、暗い「貧乏性」みたいなのに
ずーっと支配されてきました。
専業主婦だった母は、
「あっちの方が10円安い」というだけで、
片道1キロはあろう別のスーパーへ歩く。
「気に入った服」じゃなくて、
「安かった服」ばかり買って
なんだかいつも気に入らなそうな様子だったし、
お金使ってラクするんじゃなくて、
なんでも時間をかけてお金を節約する。
自分を犠牲にして、目の前のお金を優先する。
そんなマインドだったから、
なんだかいつも、時間に追われてたし、
しんどそうだった。
どんな悩みだって、
お金をかけて解決するというような
選択肢はまったくなく、
口癖は「時間が解決してくれる」だった。
私は中学の頃、
地元の荒れた公立中学に通い、
家庭環境の悪そうな不良たちから
目をつけられて
いじめを受けていました。
些細なこときっかけにイチャモンをつけられ、
「はるティとか死んでこいよ」
「お前に生きる価値ないわ」
毎日毎日、そんな暴言を浴びせられる日々。
私は関西の大都市圏に住んでたこともあり、
家庭環境の良い子たちは
みんな中学受験して私立へ行きます。
当然、ウチはお金に余裕はないので、
私の中学受験もまったく視野にはなかった。
「別に中学受験なんかしたくないやろ?」
そう言われたから、なんとなく従ったけど、
小6の私に、合理的な判断なんて
できるわけがない。
「公立の方が、ちゃんと世間を知れるからな」
…違う。違う違う違う。
ほんとは、お金がないからや。
だけど、んなワケない、
「クソつまんない理由」を後付けして
地元の荒れた公立中学にぶち込まれて、
そこで私は、一生かかっても
消えることのない、
忘れることのない傷を負いました。
ナイフ剥き出しで
理性も何もないような環境に
愛する娘を放り込む必要なんかまったくない。
そんな世間なんぞ、一生知らなくていい。
厳しい「世間」に放り込まれ、
心をめちゃくちゃにされた私が
家に帰ると
待っていたのは、
当時、理不尽な責任を負わされたストレスで
何度も救急車に運ばれる父と
(今思えば、パニック障害)
当時行き出したパートでの人間関係と、
父の体調不良に心を病み、
うつ病になった母。
誰も私のことを見ちゃいない。
私は中学生にして、
「私のことなんか、誰も守ってはくれない」
そう悟って、
毎日自室でこっそり涙を濡らしながら、
なんとか自分の力で這い上がろうと
猛勉強を始めたけど、
必死に地獄を抜け出そうとする
私の横で、
うつ病で暗い顔をした母は、
「足るを知る」
こんなことを言ってる本ばかり
読んでいました。
原因不明の体調不良に疲れ切ってるのに、
家族を養うために働くしかない父は、
「お前には未来があってええなぁ。
いい大学に入って、いい会社に入ったら、
お前やったら絶対出世するわ。
人生逆転やで。」
そう言って、がんばる娘を誇らしそうに、
そして、なんだか少し、
寂しそうに笑いました。
・・・なにそれ。
父さん母さんは、自分の人生あきらめてんの?
そのくせ、家のあちこちには、
金色の封筒に大事にしまった
年末ジャンボ宝くじとか、
「感謝」とデカデカと書かれた水だとか、
金運で有名なパワースポットのお守りだとか。
隠してるようで、隠しきれてない、
「いまの人生」への不満がチラチラ見えて、
ため息が出る。
自分たちにはどうにもできないと諦めて、
まるで誰かに助けを求めているような。
「お金がない」って、
世代を超えた呪いだと思うし、
まるで「低温やけど」みたいとも思う。
知らないうちに、
ゆっくり、ゆっくりダメージを負って、
知らないうちに、
取り返しがつかない状態になってしまう。
その状態が当たり前になりすぎて、
自分にそこから抜け出せる可能性が
あるということに見向きすらしない。
私はずーーーーっと、
今までの人生、
その呪いを否定するように、
抗うよう必死で生きてきました。
諦めず、真面目に努力して生きていれば、
いつか報われる。
いつか、豊かになれるはず。
呪いなんて、私が解いてやる。
そうやって生きてきた。
生きてきた、はずだった。
自分との約束通り、
いい大学を出て、
大企業に勤めるようになった私。
だけど、いざ入ってみたら、
理不尽な勉強量と、その仕事量。
夜中の1時まで残業するような日々。
会社のひと声で
あっという間に数百キロ離れた場所に
移動させられる。
なのに、新卒から給料はまったく上がらない。
そうやって、苦しい環境に
数年間浸かっているうちに、
私もだんだん、両親と同じような
呪いに
無自覚にかかっていました。
真面目にやっていれば、
神様が助けてくれる。
んなワケないのに、
心のどこかで救いを待つような日々。
そんな中で、
なるべく思い出さないようにしていた記憶たちが、
祖父の訃報を聞いて、
フツフツとよみがえってきた。
ああ、そうだった。
私は、こんな人生の呪いから抜け出したくて、
ずっと頑張ってきたんだった。
なのに、私の祖父や両親の話など、
全く知らないはずの
私の夫も
となりでこう言い出すのです。
「売ってる野菜が高すぎる」
「これじゃ値引きされたものしか買えないよ」
「車なんて贅沢だよ」
「中学から私立なんて入れてたら破産するよ」
あーーーーー。
お前もか。
うるさい、うるさいうるさいうるさい。
どいつもこいつも、金金金金って。
もううんざり。
「お金がない」
そう思うなら、
愚痴言ってなげく前に、
誰にも依存せず、自分の力で
お金を稼ぐ
やり方を勉強するしかない。
「お金がない」呪いは、
当然ながら、お金があれば解決します。
というか、この呪いから抜け出すには、
自力でお金を稼ぐしか方法はありません。
「会社で出世して」とか
「夫に稼いでもらって」とか
「宝くじにあたって」とか
「神様に救ってもらって」とか
他人、他者の力に依存するんじゃなくて、
他でもない、私自身が稼ぐしかない。
「親である自分がビジネスしたら、
子どもが小さいから無理させるかも?」
賛否両論はあるとは思う。
けど、子どもが小さいからこそ
少し泣かせることが増えたとしても、
できるだけ早い段階で
お金を稼げるようにしておくべき。
お金がない、という理由で
ずっと不機嫌な顔していたり、
大きくなって悩んだ時に、
お金で何も解決してあげられない親の方が
よっぽど子どもがかわいそう。
自分で稼げる方法を勉強し、
実践し、
稼げるようにさえなれば。
専業主婦だったのに、
「家計の足し」とかいう理由で
月10万にもならないパートに出て、
嫌な人間関係に支配されなくていいし、
理不尽な扱いを受ける会社なんて、
サクッとやめて
少し給料が下がったって、
楽しく働けるところに行けばいい。
子どもには教育なり、経験なり、
好きなだけお金をかけてあげられる。
お金があれば、劣悪な公立で
我慢させることもなく、
手厚く守られた私立に入れてあげられる。
しなくていい苦労は徹底的に避けられる。
「安いから」という理由じゃなくて
「好きだから」という理由で
値札を気にせず買い物もできるし、
趣味も車も、
誰にも文句言われずに楽しめる。
家だって、ギリギリの予算で検討せず、
ストレスフリーに暮らせることを
最優先して選べる。
毎日毎日たまってため息が出る家事だって、
ハイテク家電に頼ったり、
なんなら業者呼べば一気にラクできる。
思い切って食洗器と洗濯乾燥機を
30万近く出して買ったら、
びっくりするくらい夫婦喧嘩も減りました。
カビの生えたエアコンだって、
汗水垂らして、調べながら
自分で掃除しなくていいのです。
プロに頼めば、
横でコーヒー飲んでるだけで終わります。
もう、今さらいいや…と諦めず
好きなだけ美容にお金をかければ、
鏡を見るたびに嬉しくなる自分になれる。
私が10年以上悩んできたニキビ肌の悩みも、
お金をかけて美容治療したら
たった数ヶ月で治ったし、
なんなら、20年以上悩んできた、
歯の前突感。
思い切って100万近くかけて歯科矯正したら、
たった1年で別人になれました。
お金があれば。
お金があれば。
お金があれば。
こんな感じで、
悩みはどんどん無くしていける。
悩みから解放される分だけ、
自分のことも好きになれる。
それでちょっとだけ、自信もつく。
これは紛れもない事実です。
逆に、お金がなければ、
一生この閉塞感からは逃れることができません。
ずーーーーっと、
見えない力が
解決してくれるのを待っていながら、
自分や大切な家族が、
知らないうちに
「低温やけど」のように
ゆっくり、ゆっくり
傷を負っていくだけです。
私は、祖父の訃報を聞いて、
この呪いの存在を思い出しました。
そして、低温やけどを負う人生に
サヨナラするために、
「自分で稼ぐ方法」を徹底的に学びました。
たとえ数ヶ月かかってでも、
お金を生み出すスキルを学んで、
仕組みを作れるようになろうと誓いました。
人生でたった1回だけ、
そう言う時期があってもいいのです。
これを読んでくださったあなたも、
綺麗事は捨てて。
真剣に自分の人生と、
お金と向き合ってみてほしいなと思います。
はるティ